2012年9月1日土曜日

三丁目の夕日と九月一日の朝日


ALWAYS 三丁目の夕日64のDVDを買いました。僕の大好きな映画シリーズです。誰が何と言おうと!!








長いですし、多分所々日本語になっていませんし、何よりネタバレ満載なので読みたい人だけ読んでください。(あと個人的主観語りも大量なので気分を害する人もいるかも)

















ついにALWAYSも三作目に突入しましたね。三丁目の人たちの5年後の姿という子役に合わせてるのが丸見えの次作。

この手のタイプの映画で3とかあるなら4でも5でもやれるじゃないか?と思っていましたが、今回三部作で一応の完結を見せていますね。完結というのは言葉の誤り

『それぞれの道を見つけた』というひとまずの終止符をうつ今作。

俺達の戦いはこれからだ!!エンドなんですけど、そもそも。このALWAYSの終着点って実は『今』
なんですよね。

三丁目という昭和と言う時代を圧縮した世界。この昭和の人たちの行き着く先は『平成』なんですよ。

この先ALWAYSが4、5、6、7~とどれだけ続いても、絶対的にこの平成に行き着くのです。

つまり、どのシリーズでも行き着く先は同じという∀ガンダムのような物ですね(笑)

自分達もALWAYSの作品の一部なのです。未来編です。だから完結という完結はありません。

まぁ、そのへんは置いといて作品の感想を。

この映画、『主人公』がいっぱいいるんですよ。主要人物全員主人公と言っても過言じゃない。
だから2時間半の映画なのに色んな物語があるんです。一人の主人公の周りで起こる出来事では無いんです。だから結婚の話があったり夢の話があったり幸せの話があったり子供が生まれたり。父親が死んだり。とても広いんです。


でも主体は茶川さんのようではありますね。というか淳之介。


正直1、2と出てきた淳之介の実父が言った「君は淳之介を養っていけるのかね。私だったら好きな物を買わせてやるし大学だって行かせてやれる」的な会話で茶川さんに金で解決しようとしたときがります。

内心では非常に正論だと思います。実際に2では給食費すら満足に払えなかった状態。茶川さんは騙されやすいし調子に乗りやすいし、甲斐性なしで金持ちでもありません。
淳之介は頭も良いので間違いなく大学にも行ける事でしょう。そうなった場合、茶川さん家にいることは淳之介が気を使って才能を潰す結果になるのは目に見えているだろうなぁ

と、2のエンディングでは将来のバックストーリーはそう思ってました。

と、言うのも原作を読んでいる方はわかると思いますが、あの時代は高度経済成長期で所得倍増など日本が裕福になっていく途中を表しております。

しかし、自営業には何らメリットは起こらないように出来ているのです。

世間が裕福になれば車の生産も増え、鈴木オートのような、自動車修理工は盛んになり、逆に小説のような媒体は、漫画の登場で需要が減っていき、かつ所得も得られないというようになりますね。

そう言った、鈴木オートと茶川さんが実は上手く対比されていて、映画でもさりげなく茶川さんはやっと買ったモノクロテレビに対して、同時期に鈴木オートはカラーテレビを買っていますよね(笑)

経済的な理由なども含めて淳之介は茶川さんに愛想を尽かすものかと思っていました。

と思いきや淳之介はそんな事は無く、小説家一本。東大に行けるにも関わらず、小説家を目指すという固い意思を持っていましたね。

あぁーそうかぁ ってなりました。

茶川さんじゃなかったらダメだったんですね

もし実父の所に行っていたら間違いなく小説家にはさせてくれなかったでしょう。それこそ大学一本才能なんて関係ない、私の会社を継ぐのだというよくあるステレオタイプ。


雑誌の編集の方が言ったセリフ『こんな所(茶川さん家)にいたら才能を潰すだけだ』がこのシリーズの淳之介を全て物語っていると思います。


しかし、映画では茶川さんも小説家を反対していました。

というのは「自分のようになって欲しくなかった」「淳之介は賢いんだから良い会社に入って幸せになって欲しい、惨めな思いはさせたくない。」という理由でした。

これは確かに分かります。クリエイターという人間の失敗した末路、そんな可能性の低いギャンブルは道がここしか無い人間の選ぶ事。

『東大に行ける頭があるんだ、そう言った確実性を優先したほうがいいんだって』という感情がひしひしと伝わってきます。

この一連の前に茶川さんはお父さんが亡くなる話がありますが、小説家を目指してしまったが為に、父とのすれ違いで最後に最大の後悔をしてしまった。

それがあるからより一層、淳之介には幸せになって欲しい。

何より物語には『有名になること』は『幸せであるのだろうか』という事が描かれてますよね。

茶川さんは『小説家になること』という広い意味で『夢』の体現を描き。鈴木オートの六ちゃんは
『好きな人と一緒にいるだけでそれだけで幸せ』という主観的な、それでいて人類全員に共通することを描いています。

お金持ちとか出世する事が幸せなのか。好きな人といれば幸せなのか。という対比。

だから、東大に行って一流の大学に入る事が幸せじゃない。やりたい事をやればいんじゃないか
というのが最大のテーマなのせしょう。

六ちゃんにしても前作で六ちゃんとくっつくかと思った彼とは全然関係ない人とくっつくというリアルな所もなかなか・・・好きな人と一緒にいることが幸せというテーマに対してその裏で涙を流す人間もいるというさりげないシビアな現実も見せています。


そして最後、1で淳之介を連れ戻す為に全速力で走るカットと全く同じカットで3では夢に向かう淳之介を突き放すという。もうね。ファンからしたら涙物のシーンですよ。



最期に淳之介のセリフが心に来ました。

「おじちゃんは惨めな思いをしてきたっていいましたよね。辛い事ばかりだったって、でもそんなおじちゃんが何で小説を書く事をやめられないんですか!!苦しくても惨めでもそれでも書くことがやめられなかったのは、好きで好きでしかたがなかったからでしょう!!」

あぁ、芸大生は心に響くセリフ。才能無くったって、金にならなくたって認められなくったって、もうええねん。好きで好きで仕方ないから。もう才能無くてもええねん。

小説も、映画も、音楽も、漫画も、絵も、どれもそう。皆、芸術家、クリエイターは才能だとか、技術的に優秀だからとか。それで食っていけるかどうか。とかじゃないんですよ。皆『好きで好きで仕方がないから』そこに才能を見いだせなくても、これしかもうどうしようもないんです。

だから作る。だから書く。だから僕にも書かせてよ。という淳之介の気持ち。

あぁ、泣けるわぁ。ホンマに泣ける。


何かこう、芸術とか、そう言った方面目指す人の親も皆こうじゃない?
自分にも同じテーマなんですよ。本当にそれで正しいのかね。でも好きなんだよね。自分の選んだ道だもの。的な


もう書きたい事いっぱいあるけどまぁこの辺で。おわり


とりあえず感じた事


『人に批判されるのが怖くて作品作らない奴はクリエイターには向いてない』

作らないとね。それがどんなクオリティでもいいから。




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